しあわせのレシピ

年代や生きた時代によって異なる幸せの定義

こんにちは、大鈴佳花(おおすず・よしか)です。

「どうしたら幸せになれるのだろう?そもそも幸せって?」
この記事を読んでいるあなたは、今このように考えているかと思います。

気づいているかもしれませんが、「幸せの定義」は人や時代によって異なります。

この記事では、幸せの定義について詳しく紹介します。

幸せの定義は人や時代によって異なる

何をもって幸せとするかは、人によっても時代によっても違いがあります。

あなたの同学年の友人でも、子育ての中で幸せを感じる人や、仕事をバリバリすることに幸せを感じる人など、人によって幸せの定義は異なりますね。

たとえ同じ年齢で同じ時代を生きていても、健康を重視する人、自由を重視する人、生活の安定を重視する人など、その人が持つ価値観によって幸せの定義は異なります。


また、生きる時代によっても、幸せの定義は異なります。

有名な大企業に入り、安定した将来が約束されていることが幸せという価値観が根強かった日本。

終身雇用が崩れた今、子どもたちの将来なりたい職業ランキングには、昔の時代には考えられなかった「YouTuber」もランクインしています。

そして転職、副業が当たり前となったり、時代とともに職業観にも変化があることがわかります。

また、同じ時代でも国によっても幸せの定義に違いがあります。

たとえば、戦後、目覚ましい経済発展を遂げてきた日本は、物質的に豊かであることが幸せという観念が強い国です。

反対に、世界一幸せな国と呼ばれるブータンでは、経済的な豊かさではなく、精神的な豊かさに重きをおいています。

それは、「一日3食食べられ、寝るところがあって、着るものがあるという安心感」それだけで、満ち足りていて幸せだと思えるような心の持ち方です。


日本では「GDP」(国内総生産)が重視されていますが、ブータンでは「GNH」(国民総幸福量)を基本とした国作りを進めています。

ブータンは幸福量を増やすことを目指していますが、その基準は国家にあるのではなく、国民にあるとしています。

そのため、2年ごとに国民に対し膨大な聞き取り調査をし、政策に役立てています。
すてきな国ですね。

(参考:【2024年最新】世界GDP(国内総生産)ランキング(IMF) | 日本はドイツに抜かれ世界4位に後退し、5位インドとの差もわずかに)

(参考:【1分解説】ブータンの国民総幸福量(GNH)とは?)

(引用:【幸せの国と呼ばれるブータンの場合】)

かつての幸せの定義

65歳以上になると、若い世代に比べて、幸福感を判断するために健康状態をより重視することがわかっています。

厚生労働省による「幸福感を判断するのに重視した事項に対する世代別の調査」によると、「健康状態」と答えた人は、65歳以上では7割を超えています。

20〜39歳で「健康状態」と答えた人は4割に満たず、40〜64歳でも5割程度でした。

つまり、65歳以上は他の世代と比較すると「健康状態」を重要視するということです。

かつては戦争や病気などにより、健康状態が良いことが当たり前ではありませんでした。

そのため、命を守るために、感染症対策や衛生環境の向上がカギとなっていました。

そのような時代を経験してきた65歳以上の世代は、若い世代と比べて、健康であることのありがたみを肌で感じ取ってきたのかもしれません。

65歳以上の世代には、健康であれば、それだけで幸福であるという考え方が多いことがわかります。

実際に年齢を重ねると、体調が人生を左右することが多々あります。病気があると、それだけで幸福感は下がりますし、気力体力も奪われます。

そのため、年代が上がれば上がるほど、健康に生きることを目指すことが大切になっていくのでしょう。

(参考:健康をめぐる状況と意識)

現代の幸せの定義

では、若い世代は幸福感を判断するために、どのようなことに重きを置いているのでしょうか?

先ほどの厚生労働省による「幸福感を判断するのに重視した事項に対する世代別の調査」によると、20~39歳は幸福感を判断するために、「家計の状況」(所得や消費など)をより重視することがわかっています。

つまり、昔に比べて経済的余裕を重視する傾向があるということです。

しかし1960年代に経済発展を遂げた先進国では、経済発展により、物質的に豊かになったにもかかわらず、経済的豊かさが心の豊かさを表す幸福感に結びついていない状況です。

この、「幸福のパラドックス=所得が増えてもある一定の水準を超えると人々の幸福度がそれ以上上昇しないという現象」は日本も例外ではないんです。

一人あたりの経済的豊かさは1979年から2008年にかけて目覚ましく上昇したにもかかわらず、幸福度や生活満足度は同じくらいか、驚くことに、少し下がっているという結果になっています。

つまり、経済的余裕が幸福につながると考えていたにも関わらず、たんに裕福であることが幸せに直結するわけではないということになります。

それでは、何が人生の幸福度を高めるのかと言うと…

「幸福感と自己決定」に関する日本での二万人のデータによる実証研究によると、自分で人生を選択することが満足度を高め、結果的に幸福度を高めることがわかっています。

つまり、所得や学歴よりも、自己決定することが強い要素であるとわかりました。

自分で人生の選択をすることで人生の満足度が高まり、さらにそれが幸福感を高めることにつながるのですね


また、厚生労働省による「幸福感を判断するのに重視した事項に対する世代別の調査」によると、年代が若くなればなるほど、『精神的なゆとり』を重要視するということです。

若い世代は、所得や消費などの家計の状況を重要視すると同時に、他の年代に比べると、精神的ゆとりを大切にしています。

物質的に満たされることと同時に、精神的にも満たされることを重要視しているということですね。

このことから「ある程度の経済的余裕がある上で、精神的にも満たされることも大切で、自分で物事を決定できる自由な人生を送れることが幸福である」という考え方が現代には多いということになります。

これはとてもバランスの良い考え方です。

(参考:幸福度に関する研究報告)

(参考:幸福感と自己決定ー日本における実証研究)

過去の偉人・哲学者による幸せの定義

幸せの定義とは何か?と感じたとき、過去の偉人や哲学者の考えも参考になると思います。

そこでここでは、偉人・知識人による名言をもとに幸せの捉え方を紹介していきますね。

それぞれに違った捉え方があることから、偉人でさえもやっぱり幸せの定義は定まっていないことがわかります。

小林多喜二:不幸があるから幸福がある

小説家の小林多喜二さんは、「闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番ほんとうに光のありがたさがわかるんだ」と、幸福を感じるために、闇の大切さを説いています。

「光=良いこと」ばかりを経験していたら、当たり前になってしまうようなことも、「闇=悪いこと」を経験するからこそ、光の輝きをしっかりと感じることができるという考えです。

さらに、小林多喜二さんは続けます。

「世の中は幸福ばかりで満ちているものではないんだ。不幸というのが片方にあるから、幸福ってものがある。そこを忘れないでくれ」と、繰り返し、「闇=不幸」が幸福に与える効果を伝えています。

さらに「闇」という存在があるからこそ、「光」も存在できることも語っています。

人は、つらいことや苦しいことがなければいいと思いがちですが、それがあることで逆に幸せが感じられるという考え方です。

つまり、光と闇の両方を経験するからこそ、人は味わい深い人生を生きることができるということでしょう。

闇があるからこそ、逆に光が照らし出され幸せを実感できると思うと、人生のさまざまな出来事がありがたいものだと気づきますね。

(参考:小林多喜二)

トルストイ:自ら作るもの

ロシアの文豪トルストイは晩年に「人生論」という本の中で、人間が生きる意味は幸福感への志向であると定義しています。

そして「幸福は、己れ自ら作るものであって、それ以外の幸福はない」という言葉を残しています。

幸せというと、白馬の王子様がやってきて幸せにしてくれるというような、誰かが幸せにしてくれることを望む人もいます。

トルストイの考えは、幸せは誰かに与えられるものではないという考え方です。
つまり、幸せは自分で作り、自分で自分を幸せするということ。

現代の幸せの定義の調査の中にあったように、自分の人生に自己決定権を持ち、自分で自由にやりたいことを決めることが幸せを感じられる秘訣です。

また、幸せとは外側の何かがもたらすのではなく、自分の心の持ち方により生まれるとも言えます。

たとえば雨が降っているとして、雨が降ってて最悪だ!となげくのか、恵の雨でありがたいと感謝の気持ちが湧くのか、自分のとらえ方で不幸にも幸せにもなります。

幸せなとらえ方をすることで、幸せを増やすことができますね。

(参考:トルストイとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】)

(参考:トルストイの人生論1)

(参考:トルストイの人生論2)

マリー・キュリー(キュリー夫人):使命であり義務である

ノーベル化学賞と物理学賞を受賞し、男尊女卑の時代にもかかわらず、二度もノーベル賞を受賞するほど科学者として大成したマリー・キュリー。

彼女は「すべての人には幸せに生きる使命があります。だから、すべての人を幸せにする義務があります」と幸せを定義しています。

すべての人には幸せに生きる使命がある。
そう思うと、幸せになることを途中であきらめないことが大切ですね。

そして、誰かが幸せでない方向を生きているときは、その人が幸せを叶えられるようにサポートすることも、その人が使命を生きることの手助けになるかもしれません。

彼女はすべての人を幸せにすることは義務であるとまで伝えています。誰かの幸せのために尽くすことが自身の幸せにつながるということなのでしょう。

ただしこれは、誰かに対してだけでなく、自分に対しても向けられた言葉だと感じます。

つまり、自分は不幸なのに、誰かの幸せのために尽くすなんて本末転倒もいいところ。自己犠牲にならないことも大切です。

まず最初に自分の幸せを追求するのが、一番大事なことですね。

(参考:キュリー夫人『すべての人には幸せに生きる使命があります。だから、すべての人を幸せにする義務があります』)

村上春樹:小さいけれども確かな幸福

「小確幸」(しょうかっこ)という言葉を知ってますか?

村上春樹さんによる造語で、「うずまき猫の見つけ方」という本のなかで、「小確幸」という言葉を使っています。

そして、生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すことが人生の醍醐味だと伝えています。

たとえば、我慢して激しく運動した後に飲む、キリキリに冷えたビールのようなもので、そのときに「うーん、そうだ、これだ」と目を閉じて思わず呟いてしまうような感興の境地に浸るときに人生の醍醐味を感じる、と伝えています。

そしてそこに至るためには、多かれ少なかれ、我慢して激しく運動するなど、自己規制のようなものが必要とされると言います。

日常生活の、小さくてささやかな幸せは、私たちが心の扉を開いて感じようとすれば、いつでも感じることができます。

仕事に集中して一日がんばったからこそ、温かなお風呂にゆっくり入る時間がなんとも心地よいように、少し我慢してがんばる時間があるからこそ、ささやかな幸せを深く味わうことができるのかもしれません。

小さいけれど確かな幸福は日常にあり、それを感じるためには、少しの我慢や苦労が必要だという考え方です。

(参考:うずまきねこの見つけ方)

(参考:「小確幸」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!)

 

まとめ

幸せについての考え方をいろいろと紹介しましたが、何を幸せとするかは、人それぞれ違います。

でも、ひとつだけ確かなことがあります。
それは、「自分の幸せ」を選択すること。

つまり、他人の決めた幸せや価値観の中で生きるのではなく、自分の思う幸せを生きること。それが一番の幸せです。

他人や世間の基準で幸せを叶えると、自分が不幸になってしまいます。そのことを忘れなければ、きっとあなたは幸せを叶えるでしょう。

どんなときも、あなたの幸せを生きてくださいね。

あなたの輝く未来が叶いますように、私はいつも応援しています。